「育てやすい子」の正体 — 親子というレンズ
親子は、人間関係の中でいちばん根源的な単位です。 子どもは親を選べず、離れることもできず、そして親のまなざしが、子どもにとって世界で最初の鏡になる。 その鏡に何が映るかを、タイプのレンズで考えてみます。
「育てやすい」は、子どもの属性ではない
発達心理学の気質研究(トマスとチェス)に、「適合の良さ(goodness of fit)」という有名な概念があります。 子どもの育ちを左右するのは、気質そのものの良し悪しではなく、気質と、周りの期待とのフィットだ——という発見です。
つまり「育てやすい子」「難しい子」というのは、子ども単体の属性ではありません。親と子の組み合わせの属性です。 同じ子が、ある親のもとでは「手のかからない、いい子」で、 別の親のもとでは「何を考えているか分からない、難しい子」になる。 子どもは変わっていないのに、です。
翻訳の距離 — 親は自分のレンズでしか、最初は読めない
親は、わが子を自分のタイプの窓から読みます。それしか窓を持っていないからです。 子どものタイプが近ければ、翻訳はほぼ自動で済みます。 きちんとしたい親(1)に、きちんとしたい子。手がかからない、よく分かる、褒めやすい。
でも遠いタイプの子が生まれると、誤訳が始まります。 成果で愛を示す親(3)には、意味を求めて立ち止まる子(4)が「暗い」「覇気がない」と映る。 突き進む親(8)には、流れに任せる子(9)が「はっきりしない」と歯がゆい。 慎重な親(6)には、恐れ知らずの子(8)が心配の種で、口をつけば「危ない!」ばかり。 そして急がせる余裕のない親には、わかってから動きたい子(5)が「ぐず」に見える——前のコラムで 書いたとおりです。
どのケースでも、子どもに欠陥はなく、親に悪意もありません。 あるのは翻訳の距離だけです。 でも子どもはそれを知らないので、「自分が悪い子なんだ」と結論してしまう。
愛の通貨 — 愛はあったのに、届かない
もうひとつの構造が、これです。 親は、自分のタイプの通貨で愛を払います。 達成の親(3)は、褒賞と応援で愛を払う。世話の親(2)は、先回りの世話で払う。 知の親(5)は、干渉しない自由で払う。安全の親(6)は、心配と備えで払う。
ところが子どもの側にも、受け取りやすい通貨があります。 一人の時間が欲しい子(5)に、世話の親(2)が構い続ければ、愛は「侵入」として届く。 見守ってほしい子(4)に、達成の親(3)が「次はもっとできる!」と発破をかければ、 愛は「あなたのままでは足りない」として届く。愛は、確かにあった。ただ、通貨が違った。大人になってから親子関係を振り返るとき、この一行で腑に落ちることは、かなり多いはずです。
いま、親である人へ — 子どもに札を貼る前に
ここで大事な注意をひとつ。この話を読んで 「じゃあ、うちの子のタイプを特定しよう」と急がないでください。子どものタイプは、まだ発達の途中です。 幼い子に「この子は5だから」と札を貼るのは、 「ぐず」の札を「タイプ5」の札に貼り替えただけで、決めつけの構造は同じです。
先にやるべきは、逆方向です。親である自分のレンズの癖を知ること。 自分はどんな子を「いい子」と感じる癖があるか。 自分の愛の通貨は何か。それは、この子の受け取りやすい通貨か。 「この子はどうしてこうなの」と思った瞬間こそ、 「私のどの期待と、ミスマッチを起こしているんだろう?」と読み替えるチャンスです。 直すべきは子どもではなく、たいてい翻訳のほうなのです。
かつて、子どもだった人へ
そしてこのレンズは、両方向に使えます。 あなたが親に誤解された構造と、あなたがわが子を誤解しうる構造は、同じものです。 親のまなざしという最初の鏡が歪んでいたとしても、 大人になったあなたは、鏡を選び直すことも、 自分が誰かの鏡になるときの角度を調整することもできる。 親子は選べない関係ですが、理解は選べる行為です。