Mandala Types

コラム

オズの魔法使いは、エニアグラムの寓話である

前のコラムで、 キャラクター分析はフィクションでやる、と決めました。 その第一弾に選ぶのは、120年以上前の童話——ボームの『オズの魔法使い』(1900年)です。 古いから選んだのではありません。読み直してみたら、この童話、エニアグラムの寓話として完璧すぎたのです。

※ 以下は原作小説(パブリックドメイン)に基づきます。1939年の映画版は別の権利作品なので、 映画固有の要素には触れません。ちなみにドロシーの靴は、原作では赤ではなく銀です。

欠乏を中心に、自分を組み立てた者たち

黄色いレンガの道を行く一行を、動機のレンズで見てみます。 全員が、「自分に欠けていると信じるもの」を中心に 自分という物語を組み立てていることに気づきます。

  • かかし — 脳みそが欲しい。 「賢くありたい、理解したい」という願い(タイプ5の匂い)。
  • ブリキの木こり — 心が欲しい。 「愛したい、感じられる者でありたい」という願い(2や4の匂い)。
  • 臆病なライオン — 勇気が欲しい。 恐れと勇気を人生の主題にする——タイプ6の、ほぼ教科書です。
  • ドロシー — 家に帰りたい。 安全な居場所とつながりへの願い。

エニアグラムの各タイプも、根っこには「自分には何かが欠けている」という感覚があり、 それを取り戻そうとする戦略が性格になる、と考えます。 つまりこの一行は、「コアの欠乏感」を擬人化したパーティなのです。

ところが、旅の様子をよく見ると、おかしなことが起きています。 道中いちばん知恵を出すのは、脳みそがないはずのかかしです。 いちばん涙もろく、小さな虫を踏まないよう気をつけて歩くのは、 心がないはずの木こりです。 そして危機のたびに真っ先に仲間の前へ出るのは、 臆病なはずのライオンです。 読者には全部見えている。本人たちだけが、気づいていない。

オズ大王 — 権威はハリボテである

一行は「欠けたものを与えてくれる」と信じて、大魔法使いオズを目指します。 このオズがまた、意味深な存在です。 オズは会う相手ごとに違う姿で現れます。 ある者には巨大な頭、ある者には美しい貴婦人、ある者には恐ろしい獣、ある者には火の玉。 相手に合わせて見せ方を変え、実体より大きく見せる—— このサイトの言葉で言えば、タイプ3の影を煮詰めたような振る舞いです。

そして正体は、ご存じのとおり。カーテンの裏で機械を操作していた、 魔法など使えない、ただのおじさんでした。本人も認めます——「わしはペテン師じゃ」。あなたに足りないものを与えてくれるはずの外の権威は、ハリボテだった。この一点だけでも、大人が読み直す価値があります。

結末 — 与えられたのは、プラセボだった

ここからが、この童話の本当にすごいところです。 正体がバレたオズは、それでも一行に「望んだもの」を与えます。 かかしには、藁に混ぜ物をしたにせの脳。 木こりには、詰め物のにせの心臓。 ライオンには、飲むだけの「勇気」。 ——全部、プラセボです。そして三人は、心から満足する。 当然です。賢さも、優しさも、勇気も、 旅の間ずっと発揮されていたのだから。 欠けていたのは資質ではなく、「自分はもう持っている」という認識だけでした。

これは、エニアグラムの伝統がいちばん深いところで言っていることと、同じです。聞きそびれたメッセージ—— 各タイプが外に探し求めているものは、実は失われたのではなく、見失われているだけ。 タイプとは、最初から持っているものを、 外から取り戻そうとする長い旅の形なのだ、と。 1900年の童話が、半世紀以上あとに体系化される性格論の核心を、先に物語にしていたわけです。

仕上げに、ドロシー。彼女を家に帰す力は、大魔法使いにも気球にもありませんでした。 答えは最初から履いていた銀の靴。 ——あなたはずっと、帰る力を履いて歩いていた。ここまで来ると、もう出来すぎです。

この寓話を、自分に当てる

そこで、読者のあなたに質問です。あなたが「これさえ手に入れば」と外に探しているものは、何ですか?賢さの証明、愛される資格、安心の保証、特別さの承認—— それはたぶん、あなたのタイプの核の欠乏感と同じ形をしています。 そしてオズの一行が教えてくれるのは、探す旅そのものは無駄ではない、ということです。 旅の途中でこそ、資質は発揮されるのだから。 ただ、最後に権威がくれるものはプラセボで、本体は最初から、あなたの側にある。

最後にひとつ、正直の注記を。この読みは「公式設定」ではありません。 ボームはエニアグラムを知りません(性格論としてのエニアグラムより半世紀以上前の人です)。 でも、だからこそ面白いのです。理論を知らない作者が、人間をよく観察して書いた物語が、 後の理論とぴったり重なる——それは、この型が理論の発明品ではなく、人間の中にもともとある模様だということの、 小さな証拠なのかもしれません。