プーさんの森には、なぜ3と8がいないのか
キャラクター分析、オズに 続く第二弾は『クマのプーさん』。試しに100エーカーの森の住人を タイプのレンズで眺めてみたら——驚きました。 あの森、ほぼタイプ図鑑なんです。 そして図鑑に空いた2つの欠番が、あの世界の秘密でした。
※ 以下はミルンの原作(1926年〜)に基づきます。後年の映画・アニメ版は別の権利作品なので触れません。
100エーカーの森・住人名簿
- ラビット(タイプ1の匂い) — 畑と秩序の番人。計画を立て、みんなが勝手なことをすると誰より苛立つ。
- カンガ(タイプ2の匂い) — 森でただ一人の母親。世話を焼き、みんなの面倒を見る。
- イーヨー(タイプ4の匂い) — 憂鬱の詩人。「どうせ僕のことなんか」が口癖の、灰色の哲学者。
- オウル(タイプ5の匂い) — 森の知識人(ということになっている)。ただし綴りはかなり怪しい——知識という看板の味わい深さ。
- ピグレット(タイプ6の匂い) — とても小さくて、とても臆病。なのに友のためなら、土壇場で誰より勇敢になる。
- ティガー(タイプ7の匂い) — 「ティガーはなんでも大好き」と言って飛びつき、試してから考える跳ねる衝動。
- プー(タイプ9の匂い) — はちみつと昼寝と「なにもしない」の達人。考えるのは苦手でも、なぜかいちばん物事を丸くおさめる。
秩序の1、世話の2、憂鬱の4、知識の5、不安の6、衝動の7、平和の9。9タイプ中、7タイプが揃っています。 童話のアンサンブルがタイプ豊かになるのは前々回に 書いたとおりですが、ここまで見事な見本市はなかなかありません。 イーヨーの誕生日が忘れられる話も、ピグレットが「ゾゾ」に怯える話も、 ティガーが「なんでも好き」と言って朝食を全部試す話も—— 全部、タイプの動機がそのまま筋になっています。
欠番は、3と8
そして名簿には、2つの欠番があります。達成の3と、力の8がいないのです。 競争する者がいない。成果を誇る者がいない。場を支配する者も、 縄張りを力で守る者もいない。
この欠員の効果は、絶大です。まず、大事件が起きない。 森の「事件」は、しっぽの紛失、穴に詰まる、北極への探検ごっこ——その程度です。 次に、敵がいない。 恐ろしいはずのゾウ(ヘファランプ)は、一度も実物が現れません。 森の恐怖はすべて、住人たちの想像の中にだけ棲んでいる(6の世界観ですね)。 野心と闘争という、物語の二大エンジンが、意図的に抜いてある。 だからあの森では、何も起きないことが、そのまま物語になるのです。
なぜ大人は、あの森で癒されるのか
ここで文化のコラムを 思い出してください。現実の大人の世界——とりわけ職場——は、 多くの場合3と8の報酬盤です。 成果を出せ、速く動け、主導権を取れ、負けるな。 私たちは毎日、3と8の通貨で家賃を払って生きている。
100エーカーの森は、その通貨が一切流通しない世界です。 誰もあなたの生産性を測らない。誰もマウントを取ってこない。 はちみつを食べ、友だちを訪ね、何もしない午前中を過ごしても、誰にも責められない。 大人がプーさんに癒されるのは、キャラクターが可愛いからだけではありません。達成社会からの完全な休暇だからです。 ミルンが描いたのは、3と8の通貨がまだ流通する前の世界——つまり、子ども時代そのものです。
では、3と8は「悪者」なのか
ここで急いで、逆側も見ておきます。この欠員の読みを 「3と8がいなければ世界は平和」と受け取ったら、それは間違いです。
3と8のいない森では、誰も新しいものを築きません。誰も外敵から仲間を守りません。 あの箱庭が成立しているのは、クリストファー・ロビンという 無条件の保護者が、森の外側で全部引き受けているからです。 楽園には、スポンサーがいる。 裏を返せば、現実の世界に3の推進力と8の守る力が必要な理由が、 あの森の成立条件から透けて見えます。 どのタイプも、いないと世界が回らない——職場のコラムで書いた 「タイプの分業」の、これは裏側からの証明です。
それでも。3と8の盤面で戦う日々に疲れたら、あの森を思い出してください。 あなたの中にも9はいます——はちみつと昼寝と、「なにもしない」を楽しむ力が。 プーさんは、それを思い出すための場所として、100年間ずっと開いています。